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こんにちは!にしじゅん(@jnishimu)です。
noteを使うようになってオンライン上でいろいろな方とコミュニケーションをとることが多くなりました。
この2つの記事に書いたことなんてまさにそうです。 この1ヶ月くらい頭が追いつかないくらい変化がありました。
その中で感じたことを今回は書いてみます。
相手の顔が見える
その昔、人々は自分が畑で作ったものや家畜なんかを物々交換という形で取引していたんですよね。 それって、実際に相手の顔が見えるっていう安心感があります。
最近ではスーパーの野菜コーナーやレストランなどでも、生産者の顔と名前が紹介されていることもあります。 直接の知り合いではないですけど、やっぱり生産者が見えると安心感があります。 そして、生産者には責任も出てきます(顔を出さなくても責任は必要ですが)。
noteで起きていることって割とそれに近いと思うんです。 名前は匿名で、写真もイラストだったりしますが、note内でコミュニケーションをとったり、コンテンツを買ってもらうには相手というものが見えることがとても重要です。
物々交換への回帰
物々交換から「お金」というものができて、人はそのお金を介してモノの交換を行うようになりました。 大量生産の時代に入ると人から人へモノが渡る間には、いろいろな会社や団体が間に入り、作った人の顔なんて意識しなくなりました。
ただ、コンテンツだけは違いました。 あの人が書いた本だから読もうとかあの人の歌だから聞いてみようとか、人の顔が見えることが大事な分野です。 今までは、それがかなり有名にならないと成り立たなかったという課題がありました。
noteはそんな状況を少しだけ変化させているサービスです。 一般人の層でコンテンツを売り出すことを可能にしました。
そうなると、擬似的ではあれ「顔」を出すことが信頼につながる世界ができつつあるように感じます。
相変わらず「お金」というツールは介してますが、「あの人が自分のコンテンツを買ってくれたから、ちょっとあの人のコンテンツものぞいてみよう」といったような物々交換に近い感覚も生まれつつある気がします。
とにかくクリエイター同士の距離が近いんです。
まとめ
やはり、歴史は繰り返すということなのでしょうか。 もしくはコミュニティーがまだ小さい段階では、どんなサービスでも物々交換的な感覚を持つようになっているのかもしれません。
ここを深く追求すれば、サービスを作る上でのフレームワークみたいなものができそうですね。
しばらくいろいろなサービスをこの思考に当てはめてみるようにしてみます
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