2016/01/06

SEALDsに学ぶ心をつかむスピーチ「個人を動かすのは個人の言葉」(津田大介の「メディアの現場」vol.194 / 津田マガ)

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こんにちは!にしじゅん(@jnishimu)です。

年末に送られてきた今年最後の津田マガ。 2015年にメディアにたびたび登場したSEALDs。 若者のデモを主導した学生団体で今年の流行語大賞トップテンにも選ばれました。

彼らの評価はどうあれ、世の中に大きなうねりを起こしたのは紛れもない事実です。 彼らの何が人々、特に若者を惹きつけたのか、そのヒントがあったのでポイントをまとめたいと思います。

大きなうねりを生み出すのに必要なもの

今回の津田マガでは社会運動が多いな広がりを見せるためにはどういうような要素が必要かという視点で述べられています。 「人々が不満を抱え込んでいること」と「不満が発火するためのきっかけ」のふたつです。

最近でいうと「アラブの春 」がそれに当たるのですが、歴史を動かした過去の革命もこのふたつの要素が必ずあったという分析です。

社会運動に限らず爆発的な広がりを見せるためには、何か溜め込んだ力ときっかけが必要だというのは感覚的に理解できますね。

自分の言葉で語る

社会運動は大人数で叫んだりするのでわかりやすい言葉に凝縮する必要があるのは理解できます。 ただ、それが何か共感できなかったり、ただ騒ぎたいだけじゃんというふうに映っていることも少なくないです。

自分が納得できる言葉を使うこと、それは個人の言葉だろうと。結局彼らは、コールはみんなでやるんだけど、それとは別にスピーチとして個人の思いを言葉にするスタイルに行き着いたようです。

自分も納得して、みんなにも共感してもらう。 そのためにはやはり自分の言葉で語る必要があります。 それによって、自分の言葉にも責任を持つこともできます。

組織の代表者が話したりするのはどこか他人事になりがちです。 ぐいぐい引っ張っていくようなリーダーを求めない現代のスタイルに「自分の言葉で語る」ということはあっているのでしょうね。

これはインターネットという世界で人々が1度匿名の世界を経験したあとで、自分の名前を出して語ることに価値が出てきているような気もします。 今ではインターネット上でも価値ある情報を提供しているのは実名で活動している人たちが多いです。

単位を組織ではなく個人に落とし込むと民主主義になる

繰り返しますが、多数決自体は悪いことじゃないんですよ。ただ、多数決は民主主義ではない。少数派の意見を無視しない、尊重する大切さが共有されることが民主主義なんです。それがわかったうえで、多数決にすればいいんじゃないですかという話で。

意見の単位を大きなグループとしてしまうとどうしても多数決的な考え方になってしまいます。 少数派も尊重するというなら意見を発信する単位を個人にすることで実現できるのではないでしょうか。

また、組織単位だと大きな組織の声が大きくなりがちで、個人は意見を言うことすら躊躇してしまいますが、個人対個人の話ならお互いの意見をぶつけ合えます。 SEALDsはスピーチに個人の意見という要素を持ち込んで、多くの人が意見を言いやすくして、さらにその個人の意見が別の個人の心に響いたという流れを生み出したところにポイントがあります。

これは十分ビジネスでも人の心をつかむときに役に立ちます。

彼らが民主主義について書いた本も出ているのでちょっと読んでみようかなと思っています。

 

ツイッター上のコメント

最後に今回のメルマガに関するツイッター上の反応をまとめておきます。

 

気になる方はぜひ「津田マガ」を購読してみてください。


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